2021年1月18日発売の週刊ヤングマガジン2021年8号で、『センゴク権兵衛』200話が掲載されました。
センゴク権兵衛200話は、豊臣太閤秀吉は朝鮮で滞在している諸将達に対して、小西摂津守行長とちゃんと話し合いをしてほしいと言う書状を出すと言う慎重論を取ったのです。
しかし、日本国内には明を支配すると言う強気な言葉が書かれた書状を出すと言う迷走状態になっていました。
今の豊臣太閤秀吉は、この世に出ていない天才が陥る事の多い自信過小と自信過剰の間に挟まれている状態になっていたのです。
果たして、豊臣太閤秀吉は今の状態から脱却する事が出来るのでしょうか。
本記事では、センゴク権兵衛200話『渡海計画』のあらすじと感想を紹介していきます。
※ここから先はネタバレ注意です。
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センゴク権兵衛200話のあらすじネタバレ
豊臣太閤秀吉は、慎重論を唱えている小西摂津守行長と積極論を唱えている加藤主計頭清正を始めとした諸将がいる朝鮮に書状を出します。
その内容は、小西摂津守行長とよく話し合え、というものであり、完全に慎重論を唱えている内容でした。
その書状には、朝鮮の王様を保護し、民を還住させて統治させ、自分は近いうちに渡海する、と言う内容も載せられていました。
しかし、2日後に国内に向けた書状を出したのだが、その内容はとんでもないものでした。
その内容は、いずれ明も支配して豊臣太閤秀吉は大唐関白となり、後陽成天皇は大唐都に移住してもらい、豊臣太閤秀吉は寧波を拠点にして天竺に攻め入る、と言うものでした。
この時の豊臣太閤秀吉の心中は、この世に出ていない才能の持ち主が陥る自信過小と自信過剰の間に挟まれている状態になっていました。
その頃、湯屋を建設している権兵衛に対して様子を見に来た石田正澄は、これは一体なんだ、と言うと、湯屋を押さえるように命じられたが曲輪が出来てないから今はこれでいい、と言ったのです。
続けて、今は豊臣太閤秀吉が渡海するまではこれで行くから、その後で如何にかすればいい、と言う権兵衛に石田正澄は、そう言う事は内密に、と言って去っていきました。
そうしたら権兵衛の部下は権兵衛に、そろそろ渡海する日は近いのか、と聞くと権兵衛は、船が港に集まって来ているのだから近いだろうが天候次第だろう、と述べたのです。
部下は、そうなると自分達も動くのか、と聞くと権兵衛は、行けと言われたら行くしかない、と言いつつ、豊臣太閤秀吉が出張って負けた戦はない、と言って励ましていると、豊臣太閤秀吉から呼び出しがある、と別の部下に言われたので向かいます。
豊臣太閤秀吉は権兵衛に、今の海をどう見る、と聞かれたので権兵衛は、海賊衆なら造作もないがそうでないなら半分遅れず上陸できれば上出来だ、と正直に答えたのです。
その意見に頷きつつ、豊臣太閤秀吉は、これから渡海に関する話し合いがあるから直垂着て、廊下で座って聞いていろ、と言って去っていきました。
このやり取りで、豊臣太閤秀吉に迷いがある、と感じる権兵衛。
そして渡海に関する話し合いが始まり、豊臣太閤秀吉、大名衆からは徳川大納言家康、前田参議利家が参加し、奉行衆からは石田治部少輔三成が参加していました。
本来は浅野弥兵衛長吉なのだが、彼は豊臣太閤秀吉に対して渡海するのを反対したので謹慎の身でした。
その事を徳川大納言家康は知っていて、それを踏まえて、渡海は反対だ、と述べました。
対する石田治部少輔三成は、日本と朝鮮との連絡に時間がかかるから今すぐにも行くべしだ、と述べたのです。
話し合いが激化する中、徳川大納言家康は突如として涙を流し、それでも渡海には反対だ、と述べ、石田治部少輔三成は正論を述べようとするも前田参議利家は、徳川大納言家康の涙を見ても反対するのか、と言い放ちます。
様子を見ていた権兵衛は心の中で、徳川大納言家康は以前と違って怖くなった、と感じていたのです。
そしてここまで話を黙って聞いていた豊臣太閤秀吉は、渡海は延期だ、と言いました。

センゴク権兵衛200話の感想と考察
豊臣太閤秀吉は大いに迷走している様子ですね。
朝鮮にいる武将達に対しては制圧した朝鮮を上手い事を統治してくれと言う書状を送りつつ、日本にいる者達に対しては明も制圧した後の事を書状として届けていますからね。
本来の豊臣太閤秀吉だったら、迷うことなく全員に明を制圧した後の事が書かれた書状を送ると思いますが、きっと今朝鮮がどうなっているのか分からないから不安なのでしょうね。
連絡が来るといっても時間がかかりますし、書状が届いた後に状況が変わっている可能性があるから余計に不安なのだなと思います。
そんな不安を徳川大納言家康が勘づいて、喧嘩沙汰後に仲良くなった前田参議利家を巻き込んで談合を開き、渡海に関して反対の意見を述べたのでしょうね。
徳川大納言家康は浅野弥兵衛長吉は渡海に反対して謹慎の身になっているのを知っていましたが、それでも説得できる自信があったのでしょう。
当時の豊臣太閤秀吉は自分の計画が上手くいくと思っていたから浅野弥兵衛長吉が反対したのを許せなかったのだと思います。
しかし、今の豊臣太閤秀吉は迷いがあり、消極的になりつつあったから徳川大納言家康の意見を飲んだのでしょう。
この事を踏まえると、徳川大納言家康の賭けは成功したと言えるでしょう。
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